金森 馨(かなもり かおる、1933年9月3日 ‐ 1980年11月1日)は、日本の舞台美術家。1980年に胃癌のため47歳で死去。

略歴

東京都江古田生まれ。中国青島で育ち、実相寺昭雄と出会う。終戦後北京で過ごした後宮城県白石市に引き揚げる。宮城県立白石高校では演劇部在籍後、1950年に東京立正高校に転校。文化学園美術科中退。1951年文学座舞台美術研究生。1952年文学座公演「恭しき娼婦」でデビュー。1954年劇団四季に入団。

1955年「野生の女」で、初めて衣装デザインを手がける。このころ土方巽や河原温が住む赤坂(港区)の「赤坂梁山泊」(進駐軍専用の連れ込み宿)と呼ばれるアパートに住み彼らと交友する。奈良原一高、池田龍雄、黒木不具人、小原庄助、篠原有司男らとも交流があった。

1960年、寺山修司、山名雅之とジャズ映画実験室「ジューヌ」を組織する。

1963年、長女マユ誕生。このころ星新一の著書『気まぐれ指数』『エヌ氏の遊園地』の装丁を手がける。

1971年、金森美弥子と結婚。

1974年、香(かお)誕生。

1976年「薔薇と海賊」で芸術祭優秀賞を受賞。

1977年、朝倉摂、高田一郎と舞台美術の実践研究グループ「AKT」を結成。 1980年、第11回世界音楽祭(武道館)の美術デザイナーを務めた。

1980年、松竹「三銃士2」(12月開演)の美術を担当していたが、11月死去、これが遺作となった。美術は高弟の倉本政典が引き継ぎ担当した。他に馨に師事したのは堀尾幸夫などがいる。

劇団四季は没後、金森馨記念舞台美術奨励賞を制定した。

妻は金森美弥子(ホリプロ専務取締役)。娘にフォトジャーナリストの金森マユ、シアタープロダクツプロデューサー金森香(かお)がある。

主な舞台装置作品

  • 日生劇場
    • オンディーヌ
  • 劇団四季
    • ひかりごけ(作=武田泰淳、演出=浅利慶太)
    • はだかの王様(演出=浅利慶太、作曲=いずみたく)
    • トロイ戦争は起こらないだろう(演出=浅利慶太)
    • エレファント・マン
    • かもめ
    • 永遠の処女テッサ(作=ジャン・ジロドゥ、演出=浅利慶太)
    • ジーザス・クライスト=スーパースター(演出=浅利慶太)
  • オペラ
    • エレクトル
    • 弱法師・卒塔婆小町(作=三島由紀夫、演出=浅利慶太)

主な受賞

  • 1963年 舞踊ペンクラブ賞美術部門賞
  • 1970年 芸術祭賞
  • 1971年 プラハ・カドリエンナーレ展団体銀メダル
  • 1972年 世界コマーシャル・フィルムコンクール「セットデザイン賞」

著書

  • 舞台装置の姿勢(リブロポート)1981
    • 1950~1980年までの舞台装置作品を豊富な図版と、数々の諸データと共に収録した作品集。浅利慶太、海野弘、妹尾河童らによるテキスト。

テレビドラマの馨

  • 生命果てる日まで(生命の詩シリーズ3)
    • 金森馨の生涯と彼を支えた夫人の愛を描く。キー局 テレビ朝日 放送曜日 月 放送期間 1981/11/23 20:02-21:48 単発
    • 主な出演=十朱幸代、日下武史、石坂浩二、渡辺有希子

脚注


TRADITIONOW / 起承文化

金森女贞

金森女贞 高度3040㎝,冠幅2025㎝,袋装苗,植株健壮, 无病虫害(本店总金额满2000起送,限武汉及周边区域)融创集采商城

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