1990年のドイツツーリングカー選手権は、ドイツツーリングカー選手権の7回目のシーズンである。4月1日のゾルダー・サーキットで開幕し、10月14日のホッケンハイムリンクまで全11ラウンド、22戦でタイトルが争われた。アウディ・V8 クワトロ DTMをドライブするハンス=ヨアヒム・スタックがタイトルを獲得した。これはDTMにおけるアウディの初のタイトルであった。


1990年の参戦チーム・ドライバー

1990年の開催スケジュールと勝者

ランキング

各ワークスの動向

1988年のDTMでドライバー・タイトルを獲得するなど有力コンデンターとして活躍してきたフォードは、ターボエンジンに対するハンディキャップの重さを嫌い1989年限りでDTMから撤退した。代わってアウディがDTMへの参戦を開始した。

  • BMW

1990年のDTMにBMWは排気量を2.5Lに拡大し、フロントとリヤに調整可能なスポイラーを装備したM3スポーツエボリューションを用意し、シュニッツァー、ビガッツィ、ザクスピード、リンダ―の4チームから計10台のマシンをエントリーさせた。タイヤはシュニッツァー、ビガッツィがヨコハマ、リンダ―はピレリを使用する。

シュニッツァーはジョニー・チェコットと1989年に未勝利ながらランキング3位に入ったファビアン・ジロワの2名をエントリーさせたが2人のドライバーは対照的なシーズンを送った。チェコットが3勝を挙げ最終戦までタイトル争いをしたのに対し、ジロワはシーズンランキング9位に沈み、1990年シーズン限りでシュニッツァーを離れることになった。

ビガッツィは1990年からBMW陣営に加わったイタリアのチームで、ドライバーはザクスピードから移籍のスティーブ・ソーパー、元F1ドライバーのヨアヒム・ヴィンケルホック、ジャック・ラフィットと実力あるドライバー3人を起用し、ソーパーが2勝、ヴィンケルホック、ラフィットが1勝を記録した。

ザクスピードの女性ドライバー、アネット・ミュービッセンは活躍のないままシーズンを終え、リンダ―のクリス・ニッセンはチームとの関係を悪化させ第8戦・ノリスリンク終了後チームを離れた。

1989年のチャンピオン、ロベルト・ラヴァーリアはイタリアツーリングカー選手権とWSPCに活躍の場を移し、スポットで参戦した。

シュニッツァーは5勝を挙げチームタイトルを獲得した。BMWはビガッツィの4勝を含めメーカー別で最多の9勝を挙げた。

  • メルセデス・ベンツ

1990年のDTMにメルセデス・ベンツは190E2.5-16エボリューションIをAMG、フランスのスノーベック、MS(マス・ショーンズ)の3チームから8台送り込んだ。タイヤはAMGがダンロップ、スノーベック、MSがピレリを使用した。

AMGはメルセデス・ワークスとして活動し、マシン開発もAMGが行いスノーベック、MSにマシンを供給している。第7戦・ニュルブルクリンクからAMGのみ190E2.5-16エボリューションIIにマシンを変更した。予選でルドヴィック、ティームが1,2位を占める速さを見せたが、その後熟成が進まずエボリューションIIはシーズン1勝を記録するにとどまった。

AMGの4名のドライバーの内フリッツ・クロイツポインターと トーマス・ヴィンケルホックは若手ドライバーの育成目的、Jrチームとして起用されクロイツポインターは抜擢に応え最優秀新人のタイトルを獲得したが、ヴィンケルホックは不振でシーズン前半のみでチームから放出された。

  • アウディ

1987年限りでWRCから撤退したアウディは、1988年から4WDマシンでアメリカ・Trans-AMシリーズに進出し1年目にしてドライバー・タイトルを獲得。1989年にはIMSA-GTOでタイトル争いをするなど活躍した。1990年、アウディは4WDマシン、アウディ・V8クワトロでDTMに挑戦することになった。

V8クワトロは4WDのためハンディキャップとして最低重量1220kgと、最低重量1040kgのBMW、メルセデスに対して180kgも重い車重を課せられ、第9戦・ディープホルツからは1300kgにまで最低重量を引き上げられた。タイヤはダンロップを使用した。

アウディは1990年のDTMにSMS(シュミット・モトーアシュポルト・テクニーク)から、ハンス=ヨアヒム・スタックの1台のみエントリーさせた。スタックはBMW、メルセデスに比べるとはるかに脆弱な体制のなか健闘し、シーズン前半で4勝を挙げた。最低重量が引き上げられたシーズン後半、成績が低迷したがヴァルター・ロール、フランク・イエリンスキーのサポートを受けた最終戦ホッケンハイムで連勝し、アウディは逆転で参戦1年目にしてドライバー・タイトルの獲得に成功した。

  • オペル

オペルは1990年のDTMにワークスのイルムシャーからニューマシン、オメガ3000/24Vを2台、シューベル・エンジニアリングからカデットGSi-16Vを1台参戦させた。しかしオメガは開幕戦の予選でエンジントラブルを起こして一時撤退。第4戦・アブスから復帰したものの、カデットとともに成績は低迷した。

  • その他

プライベート・チームがフォード・マスタングを、スイスのディーラー・チームがトヨタ・スープラを走らせたが目立った成績を残すことはなかった。

スパ24時間レース

BMWはこの年からDTMカーの出場が認められるようになったスパ24時間にシュニッツァー、ビガッツィ、リンダ―から各2台ずつ、計6台のDTM仕様のM3をエントリーさせた。M3と総合優勝を争ったのは前年までDTMに参戦していた強豪、エッゲンバーガーが走らせるグループA仕様のフォード・シエラだったがこれを降しシュニッツァーが1-2フィニッシュを決め、ビガッツィ、リンダ―も4位、5位に入賞した。

参照

参考文献

  • 『ドイツ・ツーリングカー選手権開幕』、「Racing On」 No.075、武集書房、1990年。
  • 『ドイツ・ツーリングカー選手権』、「Racing On」 No.079、武集書房、1990年。
  • 『ドイツ・ツーリングカー選手権 マシン開発』、「Racing On」 No.081、武集書房、1990年。
  • 『1990ドイツ・ツーリングカー選手権レビュー』、「Racing On」 No.087、武集書房、1990年。

外部リンク

  • DTM-Saison 1990 bei DTM.com

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