tonan前橋(トナンまえばし)は、日本の群馬県前橋市をホームタウンとする社会人サッカークラブ。
歴史
1982年 - 2005年
1982年、高校サッカー界で強豪である群馬県立前橋商業高等学校サッカー部監督の奈良知彦が中心になって前橋商業高校サッカー部OBたちが集まり「図南サッカークラブ」を結成した。クラブ名は諺の「図南の翼」に由来する。当初はOBが卒業して社会人になってからも体を動かしサッカーを楽しめるように作られたサッカー倶楽部という趣もあった。
しかし、群馬県リーグ3部に参戦すると初年度からチームワークを発揮し、そのシーズンは県選手権ベスト4という成績を残す。
1985年に2部、翌1986年には1部に昇格。社会人企業チームと互角に競り合い、この年の天皇杯県予選トーナメントでは3位になる。
1988年シーズン、試合中に興奮し審判に対しての暴力行為に発展。群馬県サッカー協会は事態を重くみて、監督は1年間の出場停止、チームは半年間の公式試合への出場停止、更には2部へ降格という処分が下された。
翌年2部を制し、1990年には1部に返り咲く、県総合選手権初優勝、天皇杯県予選準優勝を飾る。1991年県リーグ1部で初優勝、1992年には天皇杯県予選優勝、関東社会人サッカー大会優勝。1993年、晴れて関東リーグに昇格した。1990年代後半からは元Jリーガーが所属するようにもなる。
1994年~2000年までは県リーグに所属。2001年から関東リーグに復帰する。この間、1999年から3年連続で全国社会人サッカー選手権大会に出場している。
2002年の関東リーグでは9位に終わり、翌年度の創設が決まっていた2部への所属をかけた入替戦にまわる。2003年1月13日、ザスパ草津との入替戦ではPK戦までもつれた死闘に敗れ、再び県リーグに降格する事となる(この1ヶ月後にキャプテン鳥居塚伸人の草津への移籍が発表された)。
2003年に図南SCから図南SC群馬に名称変更。
2006年 - 2009年
2006年は草津より氏家英行、小久保純、樹森大介の3選手、アルテ高崎から鏑木豪が加入。群馬県リーグ1部を9勝3分、平均得点5点で制し、第40回関東社会人サッカー大会に出場したが、準々決勝で敗退した。
2007年も圧倒的な強さで群馬県リーグ1部を制覇し第41回関東社会人サッカー大会に臨んだが、準々決勝で敗退。一方、群馬県サッカー協会長杯では決勝戦でJFLのアルテ高崎を破り、天皇杯全日本サッカー選手権大会初出場を果たした。
2008年に図南SC群馬からtonan前橋に改称。群馬県リーグ1部(全14試合)で114得点を挙げ、6年連続14度目の優勝を飾る。第42回関東社会人サッカー大会では16年ぶり2度目の優勝を果たし、7年ぶりとなる関東リーグ復帰を果たした。また、10月の第44回全国社会人サッカー選手権大会では初戦で九州リーグ王者の沖縄かりゆしFCを撃破し、6度目の出場にして同大会での初勝利を挙げた。
2009年の関東リーグ2部では開幕2連敗を喫したものの、その後の10試合を8勝2敗でカバーし3位まで浮上。そしてS.A.I市原SCとの2位の座をかけた直接対決に勝利し、最終的には10勝4敗の成績で1部昇格を決めた。4年連続出場となった第45回全国社会人サッカー選手権大会では3位入賞を果たした。
2010年 - 2016年
2010年4月、ヤマダ電機とのオフィシャルパートナー契約締結を発表。7月の全社関東予選では、トップチームとtonan前橋サテライトの2チームが揃って全国大会の出場権を獲得する快挙を達成した。リーグ戦では1部5位という過去最高の成績を収めた。
2011年は全社関東予選で6年ぶりに敗退し、群馬県サッカー協会長杯でも4年ぶりに決勝進出を逃すなど、カップ戦では結果が出ないシーズンとなったが、リーグ戦では2年連続5位と健闘した。
2012年は群馬県サッカー協会長杯で優勝し、5年ぶりに天皇杯に出場。1回戦で大会初勝利を挙げ、2回戦でモンテディオ山形と対戦し敗れる。リーグ戦では過去最高の4位の成績を残した。
2013年9月17日、Jリーグ準加盟クラブとして承認された。10月15日のJ3加盟審査において、J3スタジアム審査が「要件未充足との結論」になったとして、2014年度のライセンス交付見送りが決定。その後日本フットボールリーグに公募推薦枠での昇格を目指したが、こちらも昇格が認められず、JFL・J3昇格は持ち越された。
2014年の群馬県サッカー協会長杯決勝でトップチームとtonan前橋サテライトの直接対決が実現。3-2でサテライトが勝利し天皇杯に群馬県代表として出場した。KSL市原カップでは初のベスト4進出を果たした。
リーグ戦では2014年は7位、2015年は8位と順位が低迷し、2016年は9位となり、長年守ってきた関東リーグ1部から降格した。
2017年 -
2017年、監督兼代表だった菅原が代表に専念し、新監督としてアルテ高崎・FC刈谷・東京23FCで監督経験のあるアマラオが就任した。関東リーグ2部では一時首位に立ったものの、最終的に9勝4分5敗の勝点31、優勝した東京国際大学FCに勝点7差をつけられ2位に終わった。本来ならば自動昇格であったが、JFLから2チームが関東リーグへ降格したことにより、1部7位の横浜猛蹴との入替戦に回ることになり、同試合に0-1で敗れ2部残留。第97回天皇杯では1回戦で東京国際大学FCに勝利、2回戦で大宮アルディージャに敗れた。
2019年、「プロのクラブを目指すのではなく、アマチュアクラブとして地域貢献・地域密着を目指し、子供たちから大人までに愛されるスポーツクラブを目指す」として、公益財団法人日本プロサッカーリーグにJリーグ百年構想クラブからの脱退を申請。2019年7月30日のJリーグ理事会で承認された。
ホームスタジアム
2020年の関東サッカーリーグでは、前橋総合運動公園群馬電工陸上競技・サッカー場、NTT図南スーパーグラウンドでホームゲームを開催する。
2013年にJリーグ準加盟申請を行った際は、前橋総合運動公園陸上競技・サッカー場をホームグラウンドとした(2013年は最終節のみ当地で開催)。
前橋総合運動公園を本拠地としてこだわる理由として、ウェブマガジンTHE PAGE で、菅原宏は「敷島(サッカー場、陸上競技場(正田醤油スタジアム群馬)とも)は、群馬県の持ち物ですから、僕はあくまでも、前橋市(総合運動公園)からJ3に行きたい」とコメントしている。ただ、Jリーグライセンス・J3基準では、収容人員を原則座席で5000人以上であることや、選手・審判団のロッカー室・控え室、会見場などの施設充足が求められているが、前橋陸ではそれらが現在充足されていないため、このままではJ3昇格ができない状態にあった。
戦績
リーグ戦
- 注釈
- ( )はPK戦
全国社会人サッカー選手権大会
関東社会人サッカー大会
タイトル
リーグ戦
- 群馬県社会人サッカーリーグ1部:14回
- 1991年~1992年、1994年~1996年、1998年~2000年、2003年~2008年
カップ戦
- 関東社会人サッカー大会:2回
- 1992年、2008年
- 群馬県サッカー協会長杯サッカー大会:6回
- 2007年、2012年、2015年、2017年、2020年、2021年
- 群馬県サッカー総合選手権大会:13回
- 1990年、1994年、1996年~2000年、2002年~2007年
ユニフォーム
ユニフォームスポンサー
ユニフォームサプライヤーの遍歴
- - 2009年:ミズノ
- 2010年:フォラーラ
- 2011年 - 2012年:ミズノ
- 2013年 - 2016年:アディダス
- 2017年:スフィーダ
- 2018年 - 2019年:スーペルボーラ
- 2020年 - :エグゼフ
歴代ユニフォームスポンサー
関連項目
- tonan前橋の選手一覧
- tonan前橋サテライト
- ザスパクサツ群馬
- 過去にJリーグ加盟を目指していたクラブ
参照
外部リンク
- 公式ウェブサイト
- tonan前橋 (@clubtopics) - X(旧Twitter)
- tonan前橋 (tonanmaebashi) - Facebook
- tonan前橋 (@tonanmaebashi) - Instagram
- 群馬県サッカー協会
- 前橋市サッカー協会




