シンホリスキー(欧字名:Shin Horisky)は、日本の競走馬。主な勝ち鞍に1991年のきさらぎ賞、スプリングステークス、1994年の中京障害ステークス(春)。
経歴
1990年9月9日、中京競馬場の3歳新馬でデビュー。初戦は6着に敗れる。その後、未勝利戦で3戦連続で2着に入ると、5戦目で5馬身差をつけ初勝利を挙げる。
4歳になり、前走から600m延長となった七草賞を逃げ切り、連勝を飾る。続く若駒ステークスは4着に敗れたが、重賞挑戦となったきさらぎ賞を先手を取るとそのまま逃げ切って重賞初制覇を飾る。続くスプリングステークスは2番手から直線で逃げるアフターミーを捉えるとそのまま2馬身半差をつけ快勝。重賞連勝を飾った。3番人気で挑んだクラシック一冠目の皐月賞は先行するもバテてしまい15着と大敗。次走、東京優駿は2番手につけたが、勝ったトウカイテイオーに4.1秒離された19着に終わる。その後は重賞を3戦使われるがいずれも着外に終わり、菊花賞は13着に敗れた。続く六甲ステークスを早め先頭から抜け出し勝利を挙げた。
5歳初戦の日経新春杯は9着と惨敗したが、マイラーズカップでダイタクヘリオスに5馬身離されたものの2着に入る。その後は長期休養に入り、7か月ぶりとなったカシオペアステークスは最下位の12着。その後、年内に3戦使われるが着外に終わった。
6歳のシーズンは8戦使われ、マイラーズカップ3着以外は厳しい結果となり、7歳初戦の金杯(西)は9着、平安ステークス14着となる。その後、障害競走へ転向し、障害初戦となる障害5歳以上未勝利をいきなり大差をつけて1着となる。障害2戦目で挑んだ中京障害ステークス(春)は1.7倍の断然人気に応え、9馬身差の圧勝。平地、障害での重賞制覇を達成した。さらに、障害5歳以上オープンも逃げ切りで勝利し、3連勝を飾る。トップハンデ61㎏で挑んだ阪神障害ステークス(春)は1.3倍の支持を集めたが4着に敗れ障害初黒星となる。次走、障害5歳以上オープンは2着に敗れた。その後は約1年戦列を離れ、平地の栗東ステークスで復帰、別定61㎏を背負い10着に敗れる。復帰2戦目の障害5歳以上オープンはブービーの7着に終わり、このレースを最後に引退となった。
引退後
引退後は中京競馬場で誘導馬となる。誘導馬引退後も中京競馬場で乗馬として繋養されていた。その後の動向は不明。
競走成績
以下の内容は、netkeiba.comに基づく。
- タイム欄のRはレコード勝ちを示す。
血統表
- 近親にラフオンテースがいるほか、いとこに1983年・1984年阪神大賞典優勝馬シンブラウン、1987年京都記念優勝馬シンチェスト、1996年京都金杯、京都記念優勝馬テイエムジャンボがいる。
脚注
注釈
出典
外部リンク
- 競走馬成績と情報 netkeiba、スポーツナビ、JBISサーチ



